子どもの世界に寄り添うと見えてくる宝物|保育園での学び

保育園の園庭で、笑顔いっぱいの子どもたちが午後の光の中で遊んでいる様子。寄り添う姿から温かな関係が伝わる写真。

大人から見るとささいなことでも、子どもにとっては大冒険。
小さな発見や感動に寄り添うと、そこには大人が忘れかけていた“宝物”が隠れています。

この記事では、保育園でのエピソードを交えながら、子どもの世界に寄り添うことで見えてくる幸せや学びについてお話しします。

はじめに|子どもの世界は宝箱

保育園で過ごしていると、毎日が発見と驚きの連続です。子どもたちは、大人が何気なく通り過ぎてしまうような風景の中にも、小さな「きらめき」を見つけ出します。

たとえば、雨上がりの水たまり。大人にとっては避けるものですが、子どもにとっては鏡のように空を映す「不思議な世界」。水を指でなぞってみたり、葉っぱを浮かべてみたり——その一瞬一瞬に心が動いています。

私たち大人は、効率や安全、スケジュールを優先してしまいがちです。けれど、子どものペースに合わせて立ち止まり、その目線で世界を見つめてみると、思いがけない“宝物”が見えてくるのです。

園庭で水たまりを覗き込みながら空を映して遊ぶ子どもたち。小さな発見に夢中になっている様子。

石ころひとつが宝物になる

ある春の日の午後、園庭で遊んでいた男の子が、小さな手に石を握って私のところへ駆けてきました。
「先生、これ、すっごくきれいなんだよ!」
そう言って見せてくれたのは、少し光沢のあるただの小石。けれど、陽に透かしてみると、確かに小さな模様が光って見えました。

「ほんとだね、すごいきれいだね」と一緒に覗き込むと、その子の顔は満面の笑みになりました。
子どもにとって大切なのは、石そのものではなく「自分の発見を誰かと共有できたこと」
大人が「ただの石」と思ってしまえば終わってしまう瞬間も、寄り添って共感することで“宝物”に変わります。

この体験を通して感じたのは、「価値を決めるのは目に見えるものではない」ということ。
子どもたちの世界では、「自分の心が動いた瞬間」こそが宝物なのです。

園庭で拾った小石を見せて笑う子ども。光を受けて石がきらりと輝く瞬間。

小さな気づきを受け止める力

保育の現場では、一人ひとりの「見てほしい」「聞いてほしい」というサインに気づくことが大切です。
石を拾う、花を見つける、雲を追いかける——それらはすべて、子どもなりの“心の表現”
大人が「今忙しいからあとでね」と受け流してしまうと、子どもはその瞬間に感じた感動を閉じ込めてしまいます。

寄り添うとは、すぐに解決や指導をすることではなく、「その瞬間に共にいる」こと。
「きれいだね」「面白いね」と言葉を返すだけで、子どもは安心し、心を開いてくれます。

虫との出会いが育てる好奇心

ある日、園庭の隅で「せんせい!アリがいっぱい!」という声が響きました。見ると、地面の割れ目に小さなアリの行列。
子どもたちは夢中になってしゃがみ込み、じっと観察しています。

「どこに行くのかな?」「ごはん運んでるの?」と、まるで研究者のように真剣。
その姿を見ながら、私は思いました。
——子どもの“好奇心”は、こうして自然の中で育っていくのだと。

大人はつい、「汚れるからやめようね」「触っちゃだめ」と止めてしまいがちですが、そこには大切な“学びの入口”があります。
自然の中で、命あるものと出会い、触れようとする姿勢は、科学や思いやりの芽を育てる第一歩です。

地面のアリを真剣に観察する子どもたち。虫との出会いに好奇心を膨らませている。

共に観察するという寄り添い

アリを追いながら、「すごいね、よく見つけたね」と声をかけると、子どもはうれしそうに顔を上げます。
その瞬間、ただの“虫探し”“共感の時間”に変わります。

「見る」「感じる」「共有する」——この3つのステップを大切にすると、子どもの観察力や思考力はぐんと伸びていきます。
何かを学ばせようとしなくても、子どもは自分の力で発見し、世界を広げていけるのです。

ままごと遊びに込められた思い

室内に移ると、子どもたちはそれぞれの世界を作り上げます。中でも人気なのが「おままごと」。
小さなお皿やコップを並べ、「ごはんできたよ」「おかあさんどうぞ」とやり取りする姿は、まるで小さな社会そのものです。

ある女の子が「先生も食べてね」とお皿を差し出してくれました。
「ありがとう」と受け取ると、「今日はね、カレーなんだよ!」と笑顔で教えてくれます。

よく見ると、その“カレー”は黄色いブロックと赤いビーズの組み合わせ。
でもその中には、子どもの想像力と優しさがたっぷり詰まっています。

室内でおままごとをしている子どもたち。ごっこの中で優しく交流する姿。

遊びの中にある「心の再現」

おままごとは、ただのごっこ遊びではありません。子どもにとっては「自分の経験を整理し、再現する時間」
日常の中で感じた嬉しさや不安、家族との関わりが、遊びの形で現れます。

たとえば、「おかあさん、もう仕事いっちゃうの?」というセリフには、寂しさが隠れていることもあります。
保育士として寄り添いながら見ていると、言葉にできない気持ちを遊びを通して表現していることがよくわかります。

大人がその世界を壊さず、一緒に「ごっこ」を楽しむことは、子どもの心を理解する大切な鍵なのです。

「一緒に」がくれる安心感

子どもはいつも、「見てて」「一緒にやろう」と大人に寄り添いを求めます。
忙しい日々の中で、それにすべて応えるのは難しいこともありますが、ほんの数分でも“心を向ける時間”を作ることが大切です。

私が印象に残っているのは、ある3歳の男の子の言葉です。
「せんせい、みてて!ぼく、ジャンプできるんだよ!」

何度も何度も小さな段差を飛びながら、振り返っては笑顔を見せてくれました。
「すごいね!高くなったね!」と返すと、誇らしげに胸を張るその姿。
ほんの1分のやり取りですが、その瞬間に子どもは“認められた”と感じます。

子どもが保育士の手を引きながら笑顔で遊びに誘っている様子。信頼と安心感が伝わる瞬間。

寄り添う時間が生む自己肯定感

子どもが求めているのは、特別なごほうびや大きな成果ではなく、「自分を見てくれている」という実感です。
大人が“共に喜ぶ存在”になることで、子どもは安心し、自信を持ち、自分らしく成長していきます。

その積み重ねが、自己肯定感や人を信じる力へとつながっていくのです。

保育園で学んだ寄り添う心

保育園で子どもたちと過ごす中で、私自身が学んだのは「寄り添うことは理解することではなく、共に感じること」だということです。

子どもが泣いているとき、大人はつい「どうしたの?」「泣かないで」と理由を求めてしまいます。
でも、寄り添うというのは、その気持ちをまず“受け止める”こと。

「悲しかったね」「びっくりしたね」と言葉をかけるだけで、子どもは安心して心を開き始めます。

大人が子どもを育てているようで、実は子どもたちが私たちに“人に寄り添うことの意味”を教えてくれているのかもしれません。

大人が得る“気づき”という宝物

寄り添うことで見えてくるのは、子どもの成長だけではありません。
大人自身の「心の柔らかさ」「忘れていた感性」も呼び戻されます。

忙しさの中で見失いがちな“当たり前の幸せ”を、子どもたちがそっと思い出させてくれるのです。

保育室で保育士が子どもの目線に合わせて寄り添い、穏やかに話を聞いている様子。安心感のある雰囲気。

まとめ|子どもの世界に寄り添うと見える宝物

子どもの世界は、大人が思う以上に豊かで、驚きと喜びに満ちています。
その世界に足を踏み入れると、日常の中にたくさんの“宝物”が隠れていることに気づかされます。

  • 石ころや虫に宿る小さな発見
  • 遊びの中に隠された心の表現
  • 「一緒に」がつくる安心感

寄り添うことで見えてくるのは、子どもの成長だけでなく、大人にとっての“幸せの宝物”
子どもたちの世界に触れながら、私たちもまた、忘れていた優しさや純粋さを取り戻していくのです。

毎日の保育や子育ての中で、ほんの少し立ち止まり、子どもの目線に合わせてみること。
その一歩が、親や保育士にとってもかけがえのない「宝探し」になるのかもしれません。

園庭で笑顔いっぱいに遊ぶ子どもたち。寄り添いながら育ち合う姿を感じる写真。

・・・今日も一日ちはるびより

関連リンク
・子どもの「できた!」を見逃さない関わり方について読む
・保育士が感じる「寄り添う保育」の日常 
・小さな気づきを育てる自然とのふれあい保育