子どものまなざしから学ぶ|大人が忘れていた小さな幸せ

朝の暖かい日が差し込む保育室でじっとおもちゃを見つめる女の子。

忙しい毎日の中で、私たちはいつの間にか「当たり前の幸せ」を見落としてしまうことがあります。

朝起きて日が差すこと、家族と挨拶を交わすこと、子どもの笑顔を見ること──。それらは何気ない一瞬ですが、確かに心をあたためてくれる瞬間です。

けれど、時間に追われ、仕事や家事に追われる日々の中では、その小さな幸せを感じ取る余裕がなくなってしまうことも少なくありません。

保育園で子どもたちと過ごしていると、そんな大人の心をふと立ち止まらせてくれる瞬間に出会います。

小さな手、小さな声、そして何よりもまっすぐなまなざし。その一つひとつに、人生の豊かさを思い出させてくれる力があります。

子どもたちの世界は、時間がゆっくりと流れ、喜びや驚きがそのまま形になっていく場所。そこに触れるたび、私は「人としての原点」に戻れる気がします。

朝の光が差し込む保育室で遊ぶ子どもたち。温かい雰囲気の中に広がる日常のひとこま。

子どもの「今を生きる力」から気づくもの

子どもたちは、過去や未来にとらわれることなく「今この瞬間」を全力で生きています。
雨が降れば「ぬれるのも楽しい」、風が吹けば「葉っぱが踊ってる」、転んでも「いたいけど、またやってみる」。
そんな一つひとつの出来事を、子どもたちは“心のままに”受け止めます。

ある雨の日、園庭にできた大きな水たまりを見つけた子がいました。長靴でバシャーンと音を立てながら跳ねる姿に、周りの子たちも笑顔で集まってきます。

泥が跳ねても気にしない。びしょ濡れになっても「楽しい!」の一言。
その瞬間の純粋さに、私たちは思わず笑ってしまうのです。

大人ならつい「服が汚れる」「風邪をひく」と心配して止めてしまいがちですが、子どもにとっては“今”を全身で感じることこそが生きることそのものなのです。

別の日には、園庭の隅に咲いた小さな花をじっと見つめる3歳の男の子がいました。
彼はしばらく見つめたあと、ぽつりと「これ、がんばってるね」と言いました。

その言葉に私はハッとしました。私たちは小さな命の努力を、どれだけ見つめているでしょうか。
大人は成果や数字で物事を測りがちですが、子どもは“ただ生きていること”の美しさを自然に感じ取っているのです。

そんな子どもたちの姿を見ていると、「今」という瞬間に意識を戻す力が自分の中に戻ってくるのを感じます。

子どもたちは、人生の中で最も純粋に「存在する」ことを知っている存在。彼らのまなざしに触れることで、私たちは忘れていた“心のやわらかさ”を取り戻せるのです。

園庭で小さな花を見つめる子どもの後ろ姿。朝の光がやさしく差し込む穏やかな風景。

「できた」よりも「たのしい」が大事な理由

保育の現場では、毎日たくさんの「できた!」があふれています。
でもそれ以上に印象に残るのは、「うまくできなかったけれど、楽しかった!」という笑顔です。

泥団子が崩れてしまっても、積み木の塔が倒れても、子どもたちは笑いながら何度でも挑戦します。
大人の目から見れば失敗かもしれませんが、子どもにとってはその過程こそが成長の喜びなのです。

以前、4歳児クラスで工作をしていたときのこと。紙皿で作る風車を用意したのですが、ある子がうまく回らずに苦戦していました。

見かねて手を出そうとした瞬間、「せんせい、じぶんでやってみる!」と真剣な顔で言われたのです。

私はそっと見守りました。何度も何度も試し、ようやく風を受けてクルクルと回った瞬間、その子の顔がぱっと輝きました。
その笑顔こそが“できた”の真の意味なのだと感じました。

子どもたちは、成功を求めているのではなく、挑戦する時間そのものを楽しんでいるのです。
私たち大人が「結果」を気にするあまり、過程の中にある喜びを忘れてはいないでしょうか。
子どもの世界では、“うまくいかないこと”“成長の種”。そこに寄り添える保育こそ、心を育てる教育だと思います。

私自身も、子どもたちと一緒に失敗を笑える大人でありたいと思います。
「どうしてできないの?」ではなく、「やってみたね」「おもしろかったね」と声をかけることで、子どもは自分の力を信じられるようになります。

そうやって育まれる“自己肯定感”は、生きていくうえでの大きな支えになるのです。

積み木遊びをしながら笑顔を見せる子どもたち。失敗を楽しむ無邪気な表情。

子どもに教わる「感謝」のかたち

ある日の給食前、4歳の女の子が手を合わせて「ありがとう」と言いました。
誰かに促されたわけでもなく、自分から自然に口にした言葉でした。

その瞬間、周りの子どもたちも同じように手を合わせ、「いただきます」と声を揃えました。
その姿に、胸があたたかくなりました。

子どもたちは、日々の中で自然と“感謝”を表現します。
友だちにおもちゃを貸してもらったとき、転んだときに手を差し伸べてもらったとき──「ありがとう」が素直に出てくるのです。

それは、誰かに強制されたマナーではなく、心が動いた瞬間の反応。
小さな心がちゃんと感じ取り、言葉で伝えられる。そんな姿を見ると、大人である私たちも“感謝する力”を見つめ直したくなります。

大人になると、照れや遠慮から感謝の言葉を口にするのをためらってしまうこともあります。
けれど「ありがとう」と伝えることは、相手の存在を尊重し、認める行為。

子どもたちはそのことを、言葉ではなく行動で教えてくれます。
お絵かきのあとに「せんせい、いっしょにかいてくれてありがとう」と言われたとき、そのまっすぐな気持ちに心がほどけました。

感謝の心は、家庭や保育園などの“人が関わる場”で育まれます。
日々の積み重ねの中で、子どもたちは“自分以外の誰か”の存在に気づき、思いやりを学んでいくのです。
それは学びでもあり、愛情の循環でもあります。

給食前に手を合わせて感謝を伝える子どもたち。温かな雰囲気の保育室。

大人が忘れていた「小さな幸せ」を取り戻す

子どもたちのまなざしは、私たちに“見逃していた幸せ”を思い出させてくれます。
季節の香り、誰かの笑顔、手のぬくもり──それらは特別な出来事ではなく、日常の中に確かに存在しています。
けれど、慌ただしい大人の生活の中では、いつの間にか心の奥にしまいこんでしまうのです。

夕方の園庭で、子どもたちが空を見上げて「おそらがピンク!」と叫んだとき、私も思わず空を見上げました。

そこには、何ともいえないやさしい色のグラデーション。
何百回も見てきた夕焼けなのに、そのとき初めて“今日もいい一日だったな”と思えたのです。
子どもの言葉ひとつで、世界の色が変わる瞬間が確かにあります。

保育士として働いていると、「子どもたちの笑顔に救われる」という言葉の意味を実感します。
泣いたり笑ったり、喧嘩をしたり仲直りしたり。そんな日常の中で、子どもたちは感情をまっすぐに表現し、心を動かす練習をしています。
それを見守ることができるのは、何よりの幸せです。

大人もまた、少し足を止めてみませんか。
通勤途中の風のにおい、家族との他愛ない会話、食卓の温かさ。

子どもたちが気づかせてくれる“今この瞬間の幸せ”を感じられたら、きっと心が少し軽くなります。

夕方の園庭で空を見上げる保育士と子どもたち。あたたかい夕陽に包まれた穏やかな光景。

まとめ|子どものまなざしがくれる心のリセット

子どもたちのまなざしには、私たち大人が忘れてしまった“感じる力”が宿っています。
保育の現場で出会うその一瞬一瞬は、心をリセットし、「今ここ」に生きる大切さを教えてくれます。

子どもの目を通して見る世界は、いつも新鮮で、どんな日もかけがえのないものに変えてくれます。
「もう一度、子どものように感じてみよう」と思えることが、人生を豊かにする第一歩なのかもしれません。

日常の中にある小さな幸せを、もう一度見つめ直してみませんか。
今日、子どもたちが見つけた小さな花のように、私たちの心の中にも、やさしく咲く幸せがあるのです。

・・・今日も一日ちはるびより

関連リンク:
・「子どもの気づきがくれる成長のヒント」
・「保育士が見つめる“今”を大切にする時間」
・「心を育てる言葉のやりとり」